武将
ここは 瞳阿 の 上司のページです
部隊会話に入るんですが 誰一人いませんw
なので「同じ部隊の人と仲良くなれたら いいなぁ〜」って事で作りましたw
徳川時代...
阿部 正勝
徳川家 与力 先陣右翼
「日々の鍛錬を怠るな。いざというときに後れを取るようじゃ、話にならん!」 ←怒ってます^^;
三河からの譜代で 今川家に家康が人質になった時から一緒で 初陣から家康に従い各地を転戦
豊臣方について 北条を攻めた小田原征伐で功を挙げ 伊東地方に5千石の領地を受けた。徳川家の代々旗本に...
たいした事ない予感...
部隊アイテム...赤地丸梶葉上布 首装備 防御10 耐久16 腕力+3 耐久+3
天野 康景
徳川家 侍大将 中陣中翼副将
「・・・焦ることはない。お主は、お主なりに日々成長しているはずだ。応援しているからな。がんばるのだぞ。」 ←やさしいお言葉^^
高力清長 本多重次とともに三河三奉行と称される。高力を「仏」本多を「鬼」天野は「どちへんなし」と呼ばれていた。
「どちへんなし」は「どちらでもない」という意味で 鬼でも仏でもない中立公平な人物と評判でした。
駿河 興国寺城主を務めていた時 何者かが管理下にある竹を盗むという事件がおきた
監視係がそれを追い 盗人が手向かいしたため 切り倒す。だが盗人は 家康の直臣だった為 家康が怒り 監視係りを引き渡すように命じたが
康景は「監視係りは 真摯に任務をはたしただけ 罪はない!」といいかばい続けた。 この事件で康景は徳川家を去る。
後年 自分の非を認めた家康が 呼び戻そうとしたが 康景は この要請を固辞したといわれる。
部下 一介の足軽の為に城を捨てたのだ。
武士道て感じでかっこいいね^^
武将アイテム...日光眠り猫 腰装備 防御12 耐久24 魅力+8 罰当たり・壱(90) ←使える〜〜^^
大須賀 康高
徳川家 目付 中陣右翼副将
「戦いは、結果がすべてだ、瞳阿。様子を見て無理ならば、引き上げる勇気も肝心だぞ。」
三河時代から家康に仕えた。武田勝頼に城を落とされた後
武田勢を抑える為 遠江 馬伏塚城を守備し その功で 横須賀城を与えられ、遠江 城飼郡を領した。
この方もシラネw ...ここ、すぐ落ちます orz
部隊アイテム...七曜角頭巾 頭装備 防御15 耐久15 耐久+6 知力+4
鳥居 元忠
徳川家 奉行 後陣右翼副将
「殿は、誠心誠意をもって進言すれば、どんな話であろうと、必ず耳を傾けてくださるお方だ。
だからこそ、我々三河武士は、殿には絶対的な信頼を置くことができるのだ!」
13歳の時から家康に仕え 家康の初陣以降 常に側近で戦い 家康への忠誠心が非常に強かった。徳川十六将の一人として名を残す。
伏見城の戦い前夜 元忠は自ら杖を突きながら三方ヶ原で不自由になった足を引きずって家康を出迎えた。
元忠と家康は昔話に花を咲かせ 主従水入らずで語り合い、やがて元忠は「もう寝られませ」と言って退出しようとしたが、
足が不自由なため思うように歩けず、家康は小姓らに「手を引いてやれ」と命じた。小姓らに支えられて退出する元忠の後ろ姿を見て、家康が泣いた。
家康が上杉影勝討伐出発すると 関が原の戦いの初戦 宇喜多秀家ら4万の軍勢に攻められた伏見城は、わずか千名の兵で二週間も持ちこたえた。
家臣は元忠に自害をすすめたが、「主将たる者は一人でも多くの敵兵を討って戦死するべきである」と言い
兵二百を従えて大手門から敵の真っ只中に突撃した。戦死
家康の天下統一は、元忠の功績抜きには実現しなかっただろう
やっと名前の知ってる人が出てきた^^ 「足を引きずる」とか「家康が泣く」とか家康の為の苦労が うかがえるね (TヘT) 三河武士って感じだね
部隊アイテム..鳥居隊お仕置棒 棍棒 攻撃69 耐久81 腕力+7 火+5
井伊 直政
徳川家 中老 本陣四天王
「己の肉を滅ぼす覚悟なくば、戦で人は斬れぬ。 お主に、その覚悟はできておるか?」
井伊直政、本多忠勝、酒井忠次、榊原康政。家康親衛隊とも言うべき彼ら4人の譜代武将を徳川四天王と呼ぶ。中でも直政は四天王の筆頭格であり、
家康の戦において常に先陣を努めた。旧武田家の家臣を主力に持ったことで編み出した意匠・・・真紅の兜・真紅の胴丸具足・・・・世に言う「井伊の赤備え」として有名
関が原合戦、東軍の先陣は福島正則と決まっていたが、直政は「徳川家の戦なのになぜ他家のものに先陣を許せようか」
と娘婿松平忠吉とともに五十騎ばかりを従え最前列に出た。まず、福島隊で元北条家遺臣、大道寺直次に出会った。直次は分別もある戦人、
直政らに会うと「本日の先陣は福島左衛門太夫が承って候、これより先は何人たりとて通るべからず!」と意気込んだ。
すると直政は、「ここにおわすは、家康公御子息にて松平下野公にあらせられる。下野公は本日の戦が初陣たり。後学のため物見に行く!」
というと、家康の息子というのが聞いたのか、大道寺は道を開けた。またしばらく行くと福島家の先鋒可児才蔵にであった。
彼も「本日の先陣は福島左衛門太夫が承って候、抜け駆けはおやめ下され!」と掛け合った。
可児は戦の前で気が立っている。たとえ身分的には直政が上でも戦場となれば関係ない。
直政は「忠吉公初陣につき、後学のため物見に行かんとするのみ」それでも可児は直政ら一行を通そうとはしない。
明らかに抜け駆けというのを見て取ったのである。直政は、「うろたえるでない。物見じゃ」と取り合わず、宇喜多勢へ飛び込んでいった。
これをみた福島隊の攻撃命令がでて関ヶ原の合戦は開始されたのであった。
直政は退却する島津隊を追い、島津豊久を打ち取る功をあげた。
その後の戦後処理で窮地に陥った島津が頼ったのが、関が原で戦った直政だった。意気に感じた直政は、島津の援助を約束したのであった。
島津軍との戦いでうけた傷が原因で二年後死亡した。
戦ではいつも先頭を走ってたみたい なので生傷が絶えなかったらしい...でもさー赤備えっていうとねぇー山県昌景...
部隊アイテム..井伊の赤備え鎧 防御59 耐久85 攻撃10 気合+50 火+5
朝倉
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